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シェークスピアの傑作『ロミオとジュリエット』を生んだ都
女性でヴェローナに訪れた者は声を大にしてこう叫ぶ。
「私もヴェローナで暮らしたい!」と。赤い煉瓦で統一された高貴な町並み、古代ロマンの漂う建築物、きらびやかなブッティック街、洗練された着こなしの優雅な人々など、女性の乙女心を刺激する華やいだ    雰囲気が感じられる。エルベ広場で結婚式を終えたばかりの幸せそうなカップルの姿を目撃すると、つい、「ロミオとジュリエットのような大恋愛をしたのかしら?」なんて、ロマンチックな想像をしてしまう。
シェークスピアは、実際にヴェローナを訪れたことはなかったが、16世紀の作家ルイージ・ダ・ポルトの原作を読んで、この街の優美さを想像し、あの名作を誕生させたのであろう。 
敵対するモンテッキ(モンタギュー家)の息子とカプレーティ(キャプレット家)の娘が恋をし、死に別れるという大悲恋物語というストーリーを追って行くだけで、13世紀のヴェローナの様子が浮かび上がってくるようだ。
当時のヴェローナは、スカーラ家の君主が覇権を握っており、貴族的な華やかな宮廷社会が花開いていた。ヴェローナはこのスカーラ家、統治時代(1280ー1387年)に輝かしい繁栄を遂げ、その高度な中世文化が、今あるヴェローナの外観を決定づけたのである。その反面、中世のコムーネ(自治都市)からの伝統であったローマ教皇派(グエルフィ)とドイツの神聖ローマ皇帝派(ギベッリーニ)間の対立の図式は弱まったとはいえ、まだ解消しきっておらず、家門同志の対立は残されたままであった。そうした情勢の貴族社会にとって、自由恋愛は御法度であり、結婚とは家の権威を高めるための政治的な道具にすぎなかった。ジュリエットとロミオの運命も、こうした家門同志の激しい対立が生み出した悲劇なのである。この美しい悲劇を創造した舞台である、ヴェローナ。想像以上にロマンチックで幻想的な都に足を踏み入れることにする。
古代ローマ時代のヴェローナ
ヴェローナの歴史は古い。それを象徴する建造物が街の中心に大きく陣取っている。紀元後一世紀に建造された円形競技場の「アレーナarena」である。
高さ、30メートル、外壁の周囲391メートル、44段の階段状の観覧席があり、楕円形の劇場としては、ローマのコロッセオの次に大きなものだ。
余談だが、筆者は客席の最上階を歩いたことがあり、柵が付いていなかったので、非常に怖い思いをした。
夏になると、ここでオペラが上演される。演目は『アイーダ』など壮大なスペクタルもので、真夏の夜の夢に我々を誘う。
二万二千人の大観衆は、古代ローマにタイムスリップしながら、イタリア・オペラの神髄を体験できるのである。これほど贅沢な時間はないだろう。
古代ローマ建築もオペラという優雅で崇高な音楽と共に、ヴェローナの宮廷文化に取り込まれてしまっている。そこには、もはやローマ人が楽しんだ血塗られた闘牛試合の面影はない。古代ローマという歴史を感じさせる重厚な空間という舞台効果を得て、ヴェローナの夏の夜は思いっきりエレガントに興奮の冷めやらぬまま、静かに暮れていくのだった。
アレーナを出て、人の流れに従って歩いて行くと、人通りの激しい華やかな通りに出る。そこは古代ローマの公共広場(フォロ)だった地に建てられたエルベ広場に達する。白いテントが立ち並び、その下では様々な食料品が売られており、ヴェローナで一番活気のある場所だ。かつてはErbe(エルベ)、すなわち野菜ばかり売っていたから、この名が付けられたという。市場といっても、シチリアのような庶民ぽい大衆性を感じないのは、やはりヴェローナだからであろうか。
 蛇行するアディジェ川には、たくさんの優雅な橋がかかっており、どの橋も恋人たちがたたずんでいそうな美しい様相を呈している。
古代ローマ時代にかけられた橋は、大聖堂の裏手に位置するピエトラ橋で、直径の異なる5つのアーチからなる。
<一言メモ>
ヴェローナには、、ジュリエットとロミオの家、や墓、”恋人たちの道(ViaAmanti)”など、『ロミオとジュリエット』にまつわる建造物も多い。その信憑性に関してははなはだ疑問の残るところだが、彼らの悲哀を思い出すために少し寄ってみてもいいだろう。
Verona