::その低さがいとおしい


 あの人の体温は低い、とイヅルは思う。けれど決してつめたいというわけではなく(例えば、首筋に当てられると悲鳴を上げてしまうような)、ほどよく低い、というのがあの人だ。夏場に触っても氷代わりにはなることはなく、「あ、少しつめたいかな?」と思う程度である。しかしそのほどよさが、イヅルにはとても心地よかった。
 他の誰よりも、心地よかった。

 手を握る。また開く、握る。その繰り返し。つい先程まで触れていた、他者よりも少し低めの体温を思い出す。


(あなたの一部になりたいだなんて、そんな)


 無理だとか、無謀だとか。そういった問題ではなく、本能でそう思う。あの低さの一部になりたい。あの心地よさの一部になって、例え自分以外の誰かに市丸が触れることがあっても構わない。我慢しよう。
 元より永遠などという不確かな存在は信じていない。いつか終わりがくるのなら、触れられる誰かではなく、せめて一部に。そうすれば、ずっと。


(叶わないことを望んでいるのだ、所詮、僕も、)



「同じやなあ」


 不意に転がり落ちる言葉。
 心を、続きを、読まれたかのような市丸の言葉にはっとする。何やってんの、置いてくで、と言われてイヅルは慌てて後を追った。パタパタと袴がなびく音を、まるで他人事のように聞いている自分がいた。

 あの人の心を表したかのような体温を思う。
 手があたたかい人は心がつめたく、手がつめたいひとは心があたたかいという話があるが、それは嘘だ。あの人の心には、そもそも温度という概念がない。
 形のあるものはいずれ全て捨てられる。ならば形のないものになりたい。
 でも、そうするには命の形が邪魔だった。


(叶わないことを望んでいる。そう、解っている)
(だって、あの人も僕も生きている)
(けれど、生きているからこそ)


 そうして、ふと気がつく。



(そうだ、あの人も僕も生きている。それ以上に、大切なことなどあるか?)






どれだけ遠く離れても、それ以上に大切なことなど、(いつか、振り返るだろう)
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2007/03/26 ギンイヅ













::あの星を撃ち落とせ


 確かなものなど何もない。けれど永遠を望んでいる。


 足元を見る。夜露に濡れた雑草が足袋をくすぐっている。イヅルは夜の道は嫌いではなかった。何もかもを覆い隠すかのように見えて、その実慣れてしまえば先を見通せる、そういった甘さが好きだった。人の心のようだとも思っていた。

(あの人は、何を望んでいたのだろう)

 空を見上げる。暗く広がる闇の中、ぽつりぽつりと星が光を放っている。あの人は空へと消えたのに、この頭上に広がるどの星にも、あの人はいないのだ。その事実が悲しかった。どこにもいないのに、それでも星を目で追ってしまう自分が悲しかった。
 冷えた空気が肺を満たしていくけれど、心までが冷えることは、ない。


 今でもまだ覚えている。長くて少し骨ばっている指、手持ち無沙汰になったとき後ろ頭をかく癖や、不思議そうに首を傾げる動作。飄々としているように見えて、いつも先回りをして厄介ごとを片付けてくれていたこと。いつでもイヅルを背中に隠して守ってくれていたこと。
 あの人はとてもやさしかった。一見、やさしさから一番遠いところにいるような人だったのに、見えないところでいつも動いてくれていた。そういうやさしさもあるということを知っていた。
 愛でもなく、恋でもなく、空気のようにそこにある、やさしさ。
 けれど、置いていくことがやさしさなのならば、そんなやさしさはいらなかった。

 いらなかったのだ。



「あなたはいつも、一番大事なことは言わないんですね」



 欲しいものは真摯なやさしさなどではなく、もっと気まぐれな愛の形だった。飽きたら捨てる、そのようなものでよかったのだ。何処までも引き摺って、ぼろぼろにする執着心のようなものでもよかったのに、結局捨てられることも縛られることもないまま、あの人は星よりも遠いところへ行ってしまった。

 確かなものなど何もない、けれど永遠を望んでいた。

 イヅルの望みは何気ない日常がどこまでも続いていくことだった。あの人の望みは何だったのだろう。
 夜空を流れる星に、願わくばあの人の望みが世界との共存がかなうものであるように、と祈りをたくした。


 届かぬ星に、届かぬ祈りをたくす滑稽さを指摘し笑う人は、もういないけれど。






否定することもまた、やさしさだった。(遠ざける事も、踏み躙る事も、切り捨てる事でさえ)
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2007/03/11 イヅル(ギンイヅ)













::Name of life


 この道は何処へ続いているのだろう。誰が正してくれるのだろう。そんな思いばかりが頭の中を通り過ぎていく。あの人が指し示したものが全てで、あの人が差し出すものが全てで、あの人の辿った足跡が全てで、あの人が、僕の全てだった。
 僕の命だった。

 そんな日々を思い出す。



「まだ思い出には出来ないの?」



 いつか、あの人の幼馴染であった女性に言われた。思い出とは何だろう。通り過ぎたもの、見送ったもの、過去に分類される全てが思い出の定義になるというのならば、あの人との全ては思い出だ。おそらくこの場合の思い出とは、自分の中で過去として処理できるか、否か。その答えならばもうとうに出てしまっている。
 腰に手をやる。自らの相棒とも半身ともいえる存在が、そこに在る。
 僕と一緒に、あの人の背中を見てきた存在。この魂は、共に行こうと一言言えば、そこが地獄だろうが煉獄だろうがきっと着いてきてくれるだろう。

「侘助」

 おまえはあの人の姿を覚えているか。

「侘助」

 おまえはあの人の形を覚えているか。

「侘助」

 おまえはあの人の影を覚えているか。


 あの人が残したものを一つ一つ振り返る。命の形を振り返る。
 自分が何処を歩いているのかさえ解らなくなってしまっても、おまえは着いてきてくれるだろうか。そうして、いつしか狂ってしまったその時には、あの人との思い出を僕に教えてくれるだろうか。


 命の名前を、教えてくれるだろうか。






その日まで僕を見捨ててくれるな。(Name of life=命の名前)
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2007/03/10 イヅルと侘助(ギンイヅ)













::小指をください


 あなたの小指を残していってください、とその副官は言った。

「何やて?」
「あなたが此処を去るときには、どうかその小指を残していってください」

 突然何を言い出すのかと思いきや、現世の書物で読んだのだという。昔、愛を証明する為に小指を渡した女達の話を。より多くの男に愛をばら撒く為に、自分の小指だけでは足らないという女もいたそうな。
 結果、小指を売ることを専門とする業者まで出てきたらしい。実に馬鹿馬鹿しい話である。
 そんなもので愛が計れるはずがない、と市丸は思う。けれども目の前の副官は迷いのない目で此方を見つめ、自分の小指が欲しいという。

「馬鹿馬鹿しい」
「僕もそう思います」
「ならなんで、そんなこと言うん?」

 約束が欲しいのだと彼は言った。ならば小指ではなくともよいのではないかと思ったが、約束と、その約束に対する誠意が欲しいのだと彼は言った。覚悟が欲しいのだと、言った。
 言葉だけではたりない、思い出だけではたりない、だから小指が欲しいと言った。

「でもそれやと、ボクだけ損した気分やわ」
「では僕もお約束致します。もし僕が此処を去るときがきたら……そうですね、そのときは小指ではなくこの首を置いていきましょう」
「は?そしたら自分、死ぬやん」
「はい。ですから、僕は自分から此処を去ることはありません」

 あなたと離れるときがきたなら、それは自分ではなくあなたが此処を去るときなのだと、そう言って俯いた彼の首筋から、首から落ちる椿の淡い匂いがした。






理解には程遠い。(実はこれ、何時書いたのか覚えてない……3月の始め頃?だと思う)
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2007/03/10? ギンイヅ