『菊と刀』の勉強をしましょう(2)

                            (C)森 貞彦

( 「勉強を始めるにあたっての注意」は、第1回へ移しました。)

 

  一 『公式日本人論』について ― 『菊と刀』を誤解した愚人が政治に影響を及ぼすことがある

 まず『公式日本人論 ― 「菊と刀」貿易戦争篇』(弘文堂、1987)という本を取り挙げましょう。その著者は Diciples of Ruth Benedict(ルース・ベネディクトの使徒たち)ですが、もちろんこれはペンネームです。原文は英語で、題は ‘Coping with the US/Japanese trade war (Provisional title)' すなわち『日米貿易戦争に対処する(仮題)』です。翻訳者はテレコムパワー研究所という組織ですが、その日本代表者は本間尚(ほんま たかし)氏です。

 『公式日本人論』の風変わりな点は、成立の事情にあります。訳者が「まえがき」で述べたところによると、それはアメリカ政府が秘密裡に行なった研究の結果をまとめたもっと大きい文書の一部分であり、その研究の目的は日米間の貿易摩擦を有利に解決することにあったというのです。そういう文書の一部が日本で印刷刊行されたのは、訳者の推測によると、非公式に情報を洩らして日本側の反応を見るためであろうということです。その報告書を執筆したのは7人のアメリカ人だということですが、上の事情のために実名は明らかにされていません。

 もちろん、こういう文書から何かを引き出すことを軽はずみにするわけにはいきません。その内容に関する責任の所在がはっきりしないからです。このため、そこに書かれていることが間違っているからといってアメリカ人の考えていることが一般的に間違っていると言ってもよいかどうかは問題を含みます。しかしこの場合には、その問題をかなりの程度解消するに足る材料が他にあります。たとえば、クリフォード・ギアーツという高名な人類学者が書いた文書の中にも『菊と刀』に対する大きい誤解が含まれているのです。それについてはいずれこのシリーズの中で触れる機会があると思いますが、とにかくそういう材料があるので、『公式日本人論』において見られる『菊と刀』の理解の程度がアメリカ人全体の水準に比べて特に低いわけではないと言ってもよいと思います。

 さて本題に入りましょう。『公式日本人論』での議論は、はじめから終わりまで粗雑で見当外れです。「序論」からしてそうです。それがどれほどひどい文書であるかは、「序論」の前半を見るだけでも分かります。それを見ておきましょう。

 

  序論

 なぜ、本書が書かれたか

 わが国の著名な文化人類学者であったルース・ベネディクトが一九四四年六月アメリカ軍のサイパン島上陸当時に、戦時情報局(のちのCIA)から委嘱されて、対日戦略及び戦後の対日処理案を立てるための研究をしたことは良く知られている。

 彼女の研究は『菊と刀』と題されて日本語にも翻訳され、われわれアメリカ人にとっても意外なことに日本でベストセラーに数えられている。このことはルース・ベネディクトの分析および予言が、一部の日本人に批判されたとしても全般的には正しく価値のあるものであったことの証拠になるであろう。

 太平洋戦争にわが国が勝利を収めて、マッカーサー将軍のもとに天皇制を維持することに決定し、おおむね対日問題は平穏の内に過ぎた。

 しかしながらここ数年、一九八〇年代に入って日米の関係は緊張を深めている。これは、経済の問題でありさらには政治の問題である。

 戦後、日本人論については膨大な量の出版物が、アメリカでもまた日本人の書いたものの翻訳でも出ている。しかしながら、日本人は依然としてわれわれにとって気心の知れない″走ッであると思われる。要約して言えば、日本人はキャッチボールのできない野球狂≠ネのである。

 ここにおいて、新しい日本人研究が要請されたのである(訳注:政府の委嘱機関名および委託執筆者名は現在、未発表)。

 ルース・ベネディクトの研究が時代遅れの無用のものになったからではなく、全ての研究はその時代を背負っているとの認識からである。

 彼女の研究が日本人にどう受け入れられたかで、一番われわれを当惑させたのは、彼女の『菊と刀』が明確に対日処理案をたてるため≠ニ言ったのにもかかわらず、日本人の多くは同書を感激して受け取るか逆に感情的に反発(少数派ではあるが)したかのいずれかであって、その対日処理案に対して処理案対案≠ワたは対米処理案≠ェまったく出なかったことである。キャッチボールがなかったことである。

 問題提起も含めて真剣に研究したものに対して、何の合理的反論あるいは同等レベルの代案がでない場合程、当惑させるものはない。

 つまり、『菊と刀』は一方交通でアメリカから日本に流れただけであった。それによって、『菊と刀』は今まで改訂のチャンスを失ったと言える。  この日本人の反応の仕方は『菊と刀』のもたらした日本人についての番外の知識であった。つまり、双方向からのボールの投げ合いは、見えざる手≠中継として当然であり自明のこととわれわれは思い込んできたが、これが日本人の場合に必ずしも通用しないことがわかったのである。

 

 先ず引っかかるのは、「しかしながら、日本人は依然としてわれわれにとって気心の知れない″走ッであると思われる」というセンテンスです。これは明らかに、『菊と刀』の第一章の冒頭にある「日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の中で、最も気心の知れない敵であった」というセンテンスを意識した表現です。ベネディクトは、日本人が最も気心の知れない敵であるがゆえに非常に困難な研究をしなければならなかったのであり、その研究に成功して日本人の心の奥底にあるものが解明されたからこそ日本人を皆殺しにしなくても戦争を終わらせることができたのであり、しかも戦後の日本全土に対する占領を少ない兵力と軽い経費で済ませることができたのではありませんか。それなのに、1980年代になってから「日本人は依然としてわれわれにとって気心の知れない″走ッであると思われる」とは一体何事ですか?

 この一事だけでも『公式日本人論』の執筆者たちが『菊と刀』を全然理解していないことが分かります。それなのに彼らは、ずうずうしくも自分たちのことを「ベネディクトの使徒たち」と言っているのです。地下のベネディクトはさぞかし腹を立てていることでしょう。

 彼らは、「ルース・ベネディクトの研究が時代遅れの無用のものになったからではなく、全ての研究はその時代を背負っているとの認識からである」などと言っていますが、それこそ彼らの不勉強の証拠ではないでしょうか。1940年代と、1980年代との間に何がどれだけ変わったというのでしょう。彼女の研究が時代遅れの無用のものになったのではないとすれば、変わったのはアメリカ人の方だと考えるのが筋道でしょう。アメリカ人が天才の業績に対する敬意を失い、真に独創的な学問的業績に対するセンスを鈍らせたために、1940年代の輝かしい業績が理解できなくなったのだと言うこともできます。

 実際、ベネネディクトが追究したものは、数十年程度の時間で変化するようなものではありません。『菊と刀』の第六章「万分の一の恩返し」での「忠」に関する考察を読み、更に第十三章「降服後の日本人」にある幣原喜重郎の演説に対するコメントを読めば、ベネディクトが、8世紀に日本人が中国から思想や制度を取り入れたときと、20世紀にアメリカから民主主義を取り入れたときとの間に共通点があるのを見て取ったことがわかります。もちろんそれをうわべの現象という水準で捉えたのではなく、日本人の心の奥底で無意識のうちに行動を規制している原理の水準で捉えたのです。彼女が見た共通点は、千年を超える時間を経ても変わらない原理に沿っているのです。こういうことは、文化人類学の専門教育を受けていなくても、『菊と刀』をまじめに読むだけで分かることです。ところが「ベネディクトの使徒たち」にはそういう事がわからなかったのです。

 上では「序論」の前半を見たに過ぎませんが、それでもトンチンカンな話がいくつも見えます。「つまり、双方向からのボールの投げ合いは、見えざる手≠中継として当然であり自明のこととわれわれは思い込んできたが、これが日本人の場合に必ずしも通用しないことがわかったのである」というのもその一つです。「ベネディクトの使徒たち」と自称する人々は、『菊と刀』の第一章「研究課題―日本」にこう書かれていることに気が付かなかったのです。気が付いていたとすれば、そこに書かれている事の重要性を理解する能力が無かったのです。

 

 われわれはわれわれがアメリカ人として行動するさいの前提をしばらく脇に置き、できるだけ、ある与えられた状況のもとで日本人がすることは、われわれのすることと大した違いはあるまい、というような安易な結論に飛びつかないようにする必要があった。

 

 ベネディクトと、「ベネディクトの使徒たち」との間に、学問に対する姿勢の著しい差異があったことは、これで明らかです。「使徒たち」は、自分がすでに知っていることを前提にして、そこから手の届くところに知識を求める姿勢を取っています。これに対してベネディクトは、自分がすでに知っていることを前提にしたのでは得られない知識が存在するかもしれないということを意識して、そういう知識を逃さない姿勢で臨んでいます。この違いは本質的であり、後者は決して前者の手に入らないものを獲得することができます。『菊と刀』は、そういうものを集めて作り上げられた本なのです。自称「ベネディクトの使徒たち」がそれを超えることなど断じてありえません。彼らがそういう名を自称することも、彼らが書いたものを『菊と刀』の改定版だとか、続編だとか言うのも、ベネディクトに対する重大な侮辱です。

 筆者は『公式日本人論』の内容を詳しく検討しましたが、これまでに言った事を訂正しなければならないような事実を一つも見つけませんでした。それを詳しく話せばずいぶん長くなりますから、別の機会に譲ります。

 ともあれ、1980年代にはアメリカ政府の対日政策決定に影響を及ぼすような所でこんな愚にもつかぬ「研究」が行なわれていたのです。アメリカ人がその間違いに今も気付いていないとしたら、日本人として黙っては居られないではありませんか。われわれの手でできる事を何とかしようではありませんか。

 これが「『菊と刀』の勉強をしましょう」第2回の結びです。どうか皆様のご意見、ご感想あるいはご質問をお寄せください。いただいたメールの中から適切なものを選んで、寄稿者の了解を得てからホームページで紹介させていただきます。

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(開設: 2003年5月6日)  (最近の更新: 2004年12月21日)