『菊と刀』の勉強をしましょう(4)
(C)森 貞彦
二 嫁と姑 ― 『菊と刀』の勉強は非常に注意深くしなければならない A
前回の終わりに近いところで、「文化の型」が理解できなければ『菊と刀』は理解できないという趣旨のことを申しました。それで「文化の型」とは何かという説明が必要になります。筆者はこれについてすでに『「菊と刀」再発見』でも、『みなしご「菊と刀」の嘆き』でも説明しましたが、非常に大切なことなのでここでもその要点を話しましょう。
文化人類学に「文化の型」の概念を持ち込んだのはベネディクトですが、彼女は「これが〈文化の型〉の定義である」というようなことをどこにも示していないので誤解した人が大勢いました。筆者は、彼女の一九三四年の著書『文化の型』(米山俊直氏の訳で、社会思想社から1973年に出版された本)のどこかにその定義にあたる文があるはずだと思って探したところ、その本の第二章「文化の多様性」と第三章 「文化の統一性」にまたがる記述の中にその定義と思われる事柄が分散して書かれていることに気が付きました。それを全部ここに書き上げると余りにも長くなりますから、第三章にあるいちばん重要な段落だけを引用しておきます。
文化もおなじように、いろいろな文化的行為の単なる寄せあつめ以上のものである。たとえある部族の結婚慣習、儀礼的舞踊、成人儀礼などの形式の状態をすべて知ったとしても、それだけでは、それらの文化的行為を要素として部族自身の目標のために用いた、 「全体としての文化」をまったく理解してはいないのだ。この目標は周辺地域に存在する文化的行為の可能性のなかから、有用なものを選択し、不用なものをすてている。その必要に応じて、ほかの文化的行為は目標に沿う適切なものに鋳直されているのである。もちろんこのプロセスは全体として意識的である必要はけっしてない。だが人間行動のパターンの形成を研究する立場からみれば、この点を見落すことは知的解釈の可能性を放棄することになる。
ここで次のことに注意が必要です。上の文中にある「人間行動のパターン」というのは、文化の型ではありません。文化の型は、人間行動のパターンを形成するもの、文化的行為を目標に沿う適切なものとするように選択する選択基準、あるいは目標に合うように鋳直す鋳型です。文化的行為などと言うと何だか難しいことのようですが、本当は簡単なことです。たとえば、二人称単数の代名詞を一種類しか用いないというのも一つの可能な文化的行為であり、また相手が自分より地位の高い人であるか、それとも低い人であるかによって「あなた」と「おまえ」を使い分けるというのも同様に可能な文化的行為です。そのどちらを選択するかは、部族(「国民」と言っても同じです)がどんな目標を持つかによるのです。
日本人が二人称の代名詞を複数持っていて、相手の地位の高低によってそれを使い分けるというのは、日本人が階層制度(hierarchey)に対して強い信頼を持っているからです。これに対してアメリカ人は自由平等を信仰しており、それで誰に対しても ‘you' だけで 話を進めるのです。そこには、それぞれの「目標」の違いが反映しています。しかし だからといって、日本人の「目標」は階層制度だと言ったのでは短絡になります。そこにはもう一段掘り下げる余地があり、それを実行することによって「擬装された意志の自由」が見えてくるのです。しかしその話は少々複雑ですから、別の機会に譲りましょう。
さて、そこで「孝」とは何かという話になってくるわけですが、親に対する「孝」という観念は、君主に対する「忠」という観念とセットになって中国から伝わってきたものであることに注意する必要があります。中国からわが国にそれらの観念が輸入されたとき、日本文化の型による無意識的な「鋳直し」があったのです。どういう鋳直しがされたかということを見る前に、それがどういう意義を持っていたかを述べた段落を『菊と刀』の第一章「研究課題 − 日本」から引いておきましょう。ただし、アンダーラインを施した部分は長谷川松治の訳と違います。原文を詳細に検討した結果、長谷川訳は正しくないと考えられたので筆者が改めました(詳しくは『「菊と刀」再発見』第二章「未知の世界を開く」参照)。
人類学者はアジアならびに太平洋の多くの文化を知っている。日本の社会制度や生活習慣の中には、太平洋諸島の未開部族の間においても、それに酷似した並行例が見受けられるものが多い。これらの並行例のあるものはマライ諸島に、あるものはニューギニアに、あるものはポリネシアにある。これらの類似は、かつて昔、移住もしくは接触のあったことを示すのではあるまいか、ということを考えることはむろん興味のあることではあるが、これらの文化的類似を知っていることが私にとって価値があったのは、その間にあるいは歴史的関係があるかもしれないという理由からではなかった。むしろそれは、私はこれらの単純な文化の中で、これらの習俗がどんなふうに作用しているかを知っていたので、私が見いだした類似もしくは差異から、日本人の生活を理解する手掛かりを得ることができたからであった。私はまた、アジア大陸のシャム〔現在のタイ国〕とビルマと中国についても多少の知識をもっていたので、日本と、共に同じアジアの偉大な文化的相続財産の一部分である他の国ぐにとを比較することができた。人類学者たちは未開人の研究において、くり返しくり返し、そのような文化比較がいかに価値あるものでありうるか、ということを証明してきた。ある部族がその慣習の九十パーセントまで、隣接部族と共有していながら、しかも周囲のどの民族とも共有していないある一種の生活様式、ある一組の道徳的価値に適合させるために、それらの慣習に手を加えているというようなことがある。その過程において、全体に対する比率がどんなに小さくとも、その部族が将来独特の方向に発展していくコースを曲げるようないくつかの基本的な制度を拒絶しなければならないということもあり得た。全体として見れば多くの特性を共有している、諸民族の間に認められる差異を研究することほど、人類学者にとって有益なことはない。
この事を頭に置いて、中国から伝来した思想がわが国でどう扱われたかを見るとき、 「仁」の観念が零落したことがわかります。それについてベネディクトは、『菊と刀』の第六章で次のように述べました。なお、この引用文のはじめにある二種類の「義務」とは、「忠」と「孝」のことです。
この二種類の「義務」はともに無条件的である。かように日本は、これらの徳を絶対的なものとすることによって、中国の、国家に対する義務と、孝行との概念から離れてしまった。七世紀以来くり返し、日本に中国の倫理説がとり入れられてきた。そして「忠」および「孝」も、もともと中国語である。ところが、中国人はこれらの徳を無条件的なものとはしなかった。中国は、忠孝の条件であり、忠孝の上に立つ一つの徳を要請する。この徳(ヂェヌ〔仁〕)は通常、 ‘benevolence'〔慈善、博愛〕と訳されるが、じつは西欧人が人間間の良好な関係ということによって意味している、ほとんど一切の事柄を意味する。親は「ヂェヌ」をもたねばならない。支配者が「ヂェヌ」をもたなければ、人民はその支配者に対して謀反を起こしてさしつかえない。「ヂェヌ」は忠節の基礎となる条件である。天子がその帝位をたもちうるのも、またその百僚有司が職をたもちうるのも、彼らが「ヂェヌ」を行なうことによるのであった。中国人の倫理は、すべての人間関係にこの試金石を当てがう。 この中国人の倫理上の要請は、ついぞ日本では受け容れられなかった。…(中略)…事実日本では「ヂェヌ」は、倫理体系の外に追放された徳となり、中国の倫理体系の中で有していた高い地位からすっかりおとされてしまった。日本ではそれはジン≠ニ発音されている(文字は、中国人が使用するのと同じ文字で書かれる)。そしてジンを行なう=Aもしくはその変形である、ジンギを行なう≠アとは、最上層の人びとの間においてすら、決して徳として要求されない。「仁」は、日本人の倫理体系から完全に追放されてしまった結果、何かあることを法の範囲外ですることを意味する。
中国人が忠孝の上に立つ徳として重要視した「ヂェヌ」は、日本人にとっては「将来独特の方向に発展していくコースを曲げるようないくつかの基本的な制度」の一つであったために、無意識的に拒絶されたのです。日本人は、忠も、孝も、あらゆる条件を排除したものでなければ承知しなかったのです。そこには、階層制度への強い信頼が見て取れます。そしてその信頼は、日本文化の型の一つである擬装された意志の自由に根ざしていたのです。
しかし日本人は、「ヂェヌ」を排除する一方で、親子や君臣の関係において常にもうひとつの日本文化の型である自己責任の態度を保ち続けました。ベネディクトはそのことをよく承知していたので、 「孝」に関連して『菊と刀』の第六章で次のように言いました。
……中国でも日本でもそうであるが、孝行ということは、ただ単に自分の両親や祖先に対する尊敬と服従だけではなく、はるかにそれ以上のものであるからである。西欧人が、母親の本能と、父親の責任感に依存するものとしている、子供のために行なう一切の世話を、彼らは祖先に対する孝心に依存するものとしている。日本はこの点について、非常にはっきりと、自分が受けた愛護を子供に移すことによって、祖先の恩を返すのだと言っている。「子供に対する父親の義務」を言い表わす特別な言葉はなく、そのような義務はすべて、両親と、そのまた両親に対する「孝」のうちに含められる。孝行が、家長の肩にかかっている数多くの責任をことごとく履行すること、すなわち、子供を扶養し、息子や弟に教育を授け、財産管理の責任を引き受け、保護を必要とする親戚を引き取って保護し、その他凡百のこれに類する日常のつとめを果たすことを命ずるのである。日本では制度化された家の範囲をいちじるしく制限しているので、この「義務」の対象となる人間の数もまたしたがってはっきりと限られている。
こういう考え方がされるならば、嫁と姑の間柄も「この〈義務〉の対象となる人間」の範囲内に入ることは、子(姑にとっては孫)との関係を考えれば当然ということになります。そこに孝が存在するというのはそういうことなのです。だからベネディクトが言ったことに例外がある − 『女大学』にも引用された「七去」の第二項に「子無き女は去るべし」とあるように、かつては不生女(うまずめ)はその「義務」の対象とはされなかった − というような注意を忘れなければ、嫁と姑との間の「孝」の関係を間違いであると言う理由はないわけです。
一見単純な事柄のために長い議論をしましたが、これでもあちこちを端折っており、十分精緻な議論になっていないのはご覧の通りです。
ところで、なぜこんな長い議論になったのでしょう。それは、ベネディクトが「孝」の概念を厳しく追究して、日本人の意識を超えたところにまでそれを拡張したからです。日本人が「孝」とはこんなものだと考えていたのに対して、その本質を明らかにすると従来考えられていたものの範囲を越えてその名称を適用できる場合があることがわかったのです。そういう事例は、自然科学の分野では珍しくありません。分かりやすい例を挙げると、光をスペクトルに分けると赤、橙、黄、緑、青、藍、紫になり、それ以外の成分は無いと思われていたのに、受光面の温度測定をしたり、塩化銀を置いたりすることによって赤外線や紫外線が存在することが知られ、光の概念が拡大されました。
したがってこう言うことができます。ベネディクトは、誰も考え付かなかった方法で 「孝」の本質を追究してそれに成功したのです。
そして彼女が成功したのは、単に「孝」の本質の追究だけでなく、もっと大きいいろいろな事柄でもあったのです。 しかしながら、その成功は21世紀に入るまで誰にも認識されませんでした。
次回は森鴎外の『舞姫』を取り挙げ、その小説と『菊と刀』とが共に日本人の心の奥底にあるものを鋭く観察した結果であることを確認しましょう。
このホームページについて、ご感想、ご意見、ご批判をメールでお寄せ下さい。戴いたメールのうちから適切なものを選んで、コメントを添えて皆様にご覧戴きます。
著者へのメールはこちらへ
このホームページの内容を、たとえ一部分といえども著者の許諾を待たずに複製してはなりません。
開設: 2003年5月28日。 最近の更新: 2005年6月3日。