Q6: 『菊と刀』の結論はどこに書かれているのか? (C) 森 貞彦
文化人類学の権威者の一人が1990年代に発表したエッセイの中に「‘菊と刀’は、優雅と殺伐の象徴である」というセンテンスが含まれています。そしてその数行後に「もはや、‘菊’をもって中和しなければならない‘刀’は、現代の日本には存在しない」とも書かれています。このように、「菊」を日本人の優雅な一面の象徴とし、「刀」を殺伐な一面の象徴とする解釈は、今もなお広く行なわれています。これに対して異議を唱えた人は若干名ありますが、それは深い洞察に基づくものではなく、大勢を動かすに至っていません。
はっきり言えば、その権威者の解釈は大間違いです。その解釈は、『菊と刀』の第1章「研究課題 − 日本」の最初のページから次のページにかけて書かれている非常に印象的な段落に根拠を置いているのです。その段落は、西洋人から見て日本人の行動の矛盾と思われるものをたくさん列挙して、最後に「美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、同じ国民が刀を崇拝し武士に最高の栄誉を帰する事実を述べた、もう一冊の本によってそれを補わねばならないというようなことは、普通はないことである」という文で締めくくられています。そこに掲げられている多数の矛盾と思われる事柄は、いずれも西洋人のまじめな観察者 ― ただし、ベネディクト程の鋭い洞察力を持っていない人々 ― が日本人を見たときに注意を引いたものです。したがってそこに書かれているのは、決して結論ではありません。それは問題提起なのです。西洋人の目で見ると日本人の行動が矛盾に満ちているように見えるからこそ、ベネディクトは日本を研究しなければならなかったのです。日本人の側から見ればそこには矛盾なんか全然無いのかもしれない。だとすれば、どう考えれば日本人の目でものを見ることになるのかということが研究課題だったのです。その研究を遂行すれば、当然、菊が優美の象徴で刀が殺伐の象徴だという考え方も変わってくるはずです。
実際それは変わりました。第12章では、「菊」も、「刀」も、第1章で見たのとは全然別のものの象徴とされています。そしてそこに象徴されているものこそが日本文化の型なのです。だからこそ書名は『菊と刀』であり、その副題が「日本文化の型」なのです。
このことからわかるように、『菊と刀』の結論は、第12章「子供は学ぶ」に書かれているのです。先ほど見た権威者は、結論が第1章に書かれているかのような発言をしました。「大間違い」というのはそのことです。念のために言っておきますが、こういう間違いをしたのはその権威者だけではありません。非常に大勢の人々がそれと同じ間違いをしたのです。
その他にも似たような間違いの例はたくさんあります。日本文化の型が階層制度に対する信仰と信頼だと思った人は結論が第3章「各々其ノ所ヲ得」にあると考え、それが恥の文化だと思った人は第10章「徳のジレンマ」にあると考えたわけです。これだけでも『菊と刀』が再発見されねばならなかった理由がわかるでしょう。
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Q1: 『菊と刀』は何のために書かれたのか?
Q2: 誰も知らなかったことの研究とはどんなことか、それにはどんな意義があるのか?
Q3: 「文化の型」とは何か、それは人間の無意識とどんな関係にあるのか?
Q4: 「恥の文化」とは何か?
Q5: 「日本文化の型」とは何か?
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(開設:2002年8月5日。 最近の更新:2010年11月7日)