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エレナ・ポーター作の「少女パレアナ」と言う小説の主人公、
《パレアナ》をご存知でしょうか。 |
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1913年に発表された当時は、その続編の「パレアナの青春」ともに、アメリカ全土の人気を集めたそうです。
ディズニー映画の「少女ポリアンア」、またはフジテレビアニメ「愛少女ポリアンナ」でご存知のかたもいらっしゃるかもしれませんね。 |
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遠く西部の田舎町で、牧師であった父を亡くし、アメリカ北東部ヴァーモント州のたった一人の肉親である叔母に引き取られた、11歳の女の子の話です。 |
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私はパレアナと中学生の頃に出あったと思いますが、その後何年もの間、辛い時、落ち込んだときに幾度となく繰り返し読み、随分、心救われたものです。 |
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この十年以上は読んでいなかったので(辛いごとが無かった訳ではなく、どちらかと言えばどん底で、この本を読む余裕も無かった。)、今改めて読み直してみると、古めかしく、欠点もある小説であることも事実です。 |
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「わかるじゃないの。ゲームはね、なんでも喜ぶことなのよ。喜ぶことをなんの中からでもさがすのよ。〜なんであってもなの」※1 |
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田舎町に雇われた、貧しい牧師であった父は、娘からせがまれても人形を買ってやることもできません。人形を頼んだのに慰問箱からでてきたのは松葉杖でした。
その松葉杖を喜ぶことから、喜びの遊びは始まります。喜びの遊びとは、日々の生活の中に喜びを見つけ出すことです。 |
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不平、不満の言葉はすぐにでてきても、喜ぶということは案外できないですよね。
実際、人間どんなに努力しても、自分の力ではどうしょうもない時が往々にしてあるものです。努力で何かが解決するなら、方法があるだけましかもしれません。
辛くて、探しても、喜ぶことなど何もない時こそ、この遊びが必要なのかもしれません。 |
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「いつでも喜ぶということは、けっして単なる「お人よし」でできることではなく、強い意志と努力が必要だということが、読む人に深く彫り付けられるのでした。」※2 |
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同じ環境、状況であっても人によって、幸せだったり、不幸だったり。
「不幸は状態だけど、幸福は気分」
ワンコの大先輩のブログの中で見つけた言葉です。
オプティミストとペシミストの違い、
《コップに残った半分の水》
あなたはどちらですか?
まだ半分もある もう半分しかない
辛い状況で、辛い、辛いといっているよりは、喜びを見つける努力をしているほうが、辛いことを少しでも忘れられる。
辛いことの数を数える暇があれば、幸せの数を数えたい。
苦しい、そんなこと無理、出来っこない。出来たら苦しみなんてない。そうですよね。
だからこそ、喜びをみつけたいのです。
どんなに探しても、喜びなんて見つからない?
ありますとも、きっと...
でも「パレアナ」を今、読み返してみると、貧しく、娘に人形も与えられず、それでも喜びを見つけようと日々努力していたパレアナの父、若くして亡くなった牧師の心を切なく思います。
引用
※1 エレナ・ホグマン・ポーター作 「少女パレアナ」 村岡花子訳 角川文庫発行
※2 同 解説 |
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